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静岡地方裁判所沼津支部 昭和44年(わ)392号 判決

被告人 渡辺藤男 外二名

主文

被告人渡辺藤男を死刑に、

被告人渡辺正雄を無期懲役に、

被告人峯岸秀幸を懲役三年六月に

各処する。

被告人峯岸秀幸に対し未決勾留日数中五五〇日を右本刑に算入する。

押収してあるライオン印スコツプ二本(昭和四四年押第一四二号の三及び四)は被告人渡辺藤男及び被告人渡辺正雄からこれを没収し、ドイツ製レツク拳銃一挺上下二連式二二口径(同号の三九)及び同弾丸二発(同号の四〇)はこれを被告人渡辺正雄及び被告人峯岸秀幸から没収する。

押収してある金塊一個四八・三グラム(同号の六)はこれを被害者海野正一の相続人に還付する。

訴訟費用中、証人玉木愛子及び同中村一太郎に支給した分は被告人渡辺正雄の負担とし、証人渡辺良市に支給した分は被告人峯岸秀幸の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

一  被告人等の経歴及び交際関係等

被告人渡辺藤男は、蜜柑栽培を主とする農業を営んでいた父三男、母とくの二男として頭書本籍地において生まれ、兄が乳児の頃死亡していたので、家業を継ぐべき同胞中唯一人の男子でかつ末子として父母の愛情を身に受けて生育し、本籍地の小、中学校を経て昭和二九年三月静岡県田方郡函南町所在の県立田方農業高等学校を卒業した後、上京して東京都中央区銀座七丁目所在の建材会社に勤務したが、約三ヶ月程して呼び戻されて本籍地で家業である蜜柑園の栽培を手伝うこととなつたものの、もともと農業が嫌いであつたので、家に居つかず、沼津市街や東京へ出てバーのバーテンをしたり、家へ戻つたりの生活を続けていたところ、昭和三二年頃バスの椅子にスプリングをつけて振動を防止する装置を考案して実用新案権を取得し、昭和三五年暮頃まで東京で右新案権の実施料による収入で生活し、その頃帰郷したが、昭和三六年八月父三男が自殺したため、被告人藤男は郷里に居辛くなり、昭和三七年一月蜜柑畑を売却して郷里を出、沼津市上本通りの沼津映画劇場隣に青果店を開店し、その二階で野田和子と同棲し、同年一二月頃青果店を廃業して喫茶店「メキシコ」を始め、昭和三八年六月野田和子の父新作及び本件被害者である金融業者の海野正一から借金して一、二階を大改装し、昭和四〇年春野田和子との間に一子哲也を儲けたが、これより先梶原しず江とも情交関係をもち、昭和三八年初頃から沼津市千本緑町所在のアパート富士見荘で同女と同棲同然の生活を始め、昭和三九年九月二八日同女との間に一子誠を儲けた。被告人藤男はさらに昭和三九年四月頃沼津市下香貫馬場町野田新作方において株式会社東盛沼津営業所なる名義でフエンス工事請負業をあわせ営んだが、入金の全部を純益のように考えて酒、女、マージヤンに遊び耽けるため経営に破綻を来し、負債の支払に追われた揚句株式会社東盛名義の約束手形を偽造し、昭和四一年五月一二日静岡地方裁判所沼津支部において有価証券偽造同行使詐欺の罪により懲役一年六月及び懲役六月の判決を受けて服役し、昭和四三年三月一九日前橋刑務所を満期出所し、当時三島市大場一一三番地大進荘アパート内に住んでいた母とくの許に身を寄せ、同所から遠縁に当る浅見設備工業こと浅見文哉方に工員として通勤していたが、同年七月頃三島市内のバーで大庭澄枝と知り合い情交関係を結び、その後同女の実家である静岡県駿東郡清水町徳倉五番地向笠鉄工所こと向笠則義方二階の同女の部屋にころがり込んで同棲し、働く気もないまま浅見設備工業を自然退職し、以後同女の稼ぎ或いはうまいことをいつては同女の母てる、兄則義らから借金をして遊び暮していた。

被告人渡辺正雄は日本電信電話公社に勤務する父秀太郎と母らくの三男として東京都荒川区町屋一丁目五三二番地で出生し、東京都新宿区立第一中学校を経て昭和二八年四月東京都立工芸高等学校に進学したが、肺結核に罹患したため中退の止むなきに至り、その後一時印刷会社の工員として働いたところ、再び肺患が進行したため退職し、以後三、四年の間東京都新宿区飯田橋の逓信病院に入院して療養し、さらに昭和三三年頃静岡県出方郡函南町所在逓信病院に入院し、約一年間療養し、退院後一時東京へ戻つたが、知人を頼つて再び静岡県に来て三島市内で春子という女性と同棲し、昭和三五年頃沼津市幸町所在のアパート田村荘に居住して同市小蝶小路所在のクラブ「コスタリカ」のバーテン見習となり、一年後の昭和三六年頃春子と別れ、通称勢力街という同市八幡町四五番地でもと女優の朝雲照代こと玉木愛子がバー「朝雲」を始めるにつきそのバーテンとなり、同女から経営の細目を任かされてこれを切り廻わしていた。その後、同女及び同女の息子富久正幸が昭和四三年三月頃東京都港区西麻布三丁目二四番二三号でレストランソウルGTなるスナツクを開店したので、その店のマネージヤーとなり、本件犯行に至るまで働いていた。そして、本件相被告人峯岸秀幸とは昭和三六年頃沼津市幸町アパート田村荘に居住していた当時隣合わせに居住していた関係で知り合い、ともにマージヤンをして互いの家に泊るなど親しいつきあいをしていた。被告人藤男についてはクラブ「コスタリカ」のバーテン時代同被告人を客として知り、被告人藤男はバー「朝雲」にも客として来ていたが、昭和三九年一一月頃本件被害者である海野正一を連れて「朝雲」に飲みに来たことがあり、その折同人の乗つて来た外国製自動車がパンクし、このことが被告人正男の印象に残つていた。

被告人峯岸秀幸は父半九郎、母うめの四男として東京都江戸川区小岩五丁目一〇番地で出生し、東京都江戸川区立松江第二小学校、同区立松江第二中学校、東京都立深川高等学校を経て昭和三一年四月法政大学経済学部商業学科に入学したが、在学中にマージヤンに耽り、アルバイトにバーテンをしたことが仇となり、次第に学業を離れ昭和三九年三月在籍期間満了のため中途退学した。その間被告人峯岸は東京都内銀座、新宿のバーのバーテンをし、昭和三五年、六年頃友人の依頼で沼津市上土所在のスナツクバー「五番館」の雇われマスター兼バーテンとなり、次いで同市六軒町のバー「しま」のマスターとなつたが、昭和三八年頃から賭けマージヤンの収入の方が多いので、バーテンをやめ、同市八幡町所在沼津市公会堂脇の「富士マージヤン荘」の常連となり、以後定職に就かず、月々約一〇万円もの賭マージヤンによる収入で生活していた。なお、被告人峯岸は昭和四〇年初頃友人紫芝弘の紹介で熱海で芸妓をしていた妻田鶴子を知り、昭和四〇年三月頃から頭書住居地で同棲し、やがて正規の手続に従い婚姻の届出をしたが、昭和四二年頃沼津市西熊堂九二二番地の三に住み沼津市高島町所在キヤバレー「ハリウツド」のホステス小沢かず枝と知り合い、情交関係を持ち、同女方を我家同然に利用し、富士マージヤン荘にマージヤンに来ては週のうち三、四日位同女のもとに宿泊していた。

被告人藤男は、被告人峯岸がスナツクバー「五番館」で働いていた当時の客であつて、同被告人は被告人藤男が喫茶店「メキシコ」を始めた際友人紫芝弘をバーテンとして紹介し、自らもバーテンとして手伝つたことがあつたが、被告人藤男の受刑の間交際が途絶え、昭和四三年三月頃同被告人の連絡で三島市広小路の喫茶店で出会い、交際が復活し、その頃被告人藤男を熱海市水口町所在の芸妓置屋「新月」の二階に二週間ばかり宿泊させた。ところが、被告人藤男が被告人峯岸の背広、靴を着用したままいなくなつたので、一時気まずい状態にあつたが、三ヶ月位後再びつきあいがはじまるようになつた。

ところで、被告人藤男は昭和三八年六月頃前記のように喫茶店「メキシコ」を改装した際当時バー「海」のホステスをしていた梶原しず江の紹介で初めて御殿場市居住の金融業者海野正一(大正一一年一月五日生)を知り、同人から野田新作所有の株式を担保に一〇〇万円近い金員を借り受け、その利息の支払、増担保のためにする株式の追加などのため同人と月一、二回交渉を持つようになつたが、昭和三九年四月頃これを返済しないうちに株式会社東盛沼津営業所なる名義でフエンス建築工事請負業を始め、その開業資金として海野正一から野田新作所有の株式を担保にさらに金二〇〇万円を借り受け、海野正一から元金合計金三〇〇万円近い金員を借り受けるに至つた。ところが、右借入金の利息は月九分という高利であつたので、被告人藤男は利息さえも支払うことができず、昭和四〇年頃までの間未払利息の凡そ倍額の時価の野田新作所有の株式を増担保として追加差入していたが、その頃海野が担保株式を全部処分して貸金の回収をし、被告人藤男もまた前記のように有価証券偽造等の罪により受刑服役するに至つたので、被告人藤男と海野との間の交渉は自然途絶えていた。

二  強盗殺人の犯行の動機

ところで、被告人藤男は前橋刑務所出所後、昭和四三年一〇月頃御殿場市に友人を訪ねて行き、海野正一が御殿場駅前近くの同市新橋二、〇〇八の一番地で新たに電気器具販売店、質屋業及び金融業を兼営する「海野ストアー」という大きな店を開店していることを知り、同人方に立ち寄つたところ、同人から「不渡りになつた手形の取立をしてみないか。取立ができたら、その半分をやろう。」といわれて金額二〇万円の手形三通を渡され、ここに再び被告人藤男と本件被害者海野正一との間に交渉が持たれることとなつた。

右手形三通は結局のところ取立ができず、被告人藤男は昭和四四年一月末頃これを海野に返還したところ、同人から今度は小松工務店という名で土木建築請負業を営む神奈川県足柄下郡湯河原町宮上一九四番地小松清作振出の金額六八万五千円位の約束手形の取立を依頼されたので、同月末頃独りで、同年二月七日頃海野とともに取立に赴き、次いで同月一四日夕刻海野とともに再び小松清作方に取立に赴く途中熱海市小嵐町の被告人峯岸方に立寄り、湯河原町を廻わつて沼津市へ帰るから、一緒に行こうといつて同被告人を誘い、小松方で凡その手形金支払の話をつけ、神奈川県足柄下郡箱根町、乙女峠を廻わつて御殿場市に至り、海野を下ろして被告人峯岸とともに沼津市に向つたが、同日御殿場市から熱海市に向う車中で海野から「借手に株式とか土地とか確実な担保があれば一千万円位まで融資してやつてもよい。利息は六分でそのうち二分をやるから、金融をやつてみないか。」という旨の話があり、湯河原町から御殿場市に向う帰途被告人峯岸が同乗しているところでもその旨の話があつたので、被告人藤男は沼津市公会堂前で被告人峯岸を下ろす際同被告人に対し「海野さんのいう金融を二人でやつてみないか。」といつたところ、同被告人は人の金ではつまらぬというようなことをいつて立去り、被告人藤男はそのまま前記大庭澄枝のもとに帰つたが、被告人峯岸の人の金だといつた言葉が妙に強く頭に残り、同日夜から同月一七日夕刻まで外出せずに過していたところ、その間海野の右申出や海野と自分との現在の生活状態などをあれこれ考えているうち、「海野には以前借金の担保として差入れた野田新作所有の相当多額の株式を取られてボロ儲けをされた。あんな金なら一〇〇万円や二〇〇万円とつてもいいじやないか、海野は話の次第では相当の現金を持つて出て来る。一〇〇万円か二〇〇万円あれば小さな飲み屋でも開いて今の生活から抜け出すことができる。」と思いつき、同月一七日午後七時頃伊庭源こと渡辺源作から借り受けた普通乗用車クリーム色ダツトサンブルバード静五の―六九六六号を運転して前記富士マージヤン荘にいる被告人峯岸を呼び出し、沼津市大手町復命館眼科医院前路上の停車した車の中で「ある人を金を持たせて連れ出すから、何んとかして奪る方法はないか。」と相談すると、同被告人は、先日一緒だつた海野のことを指して「御殿場のあの人かね。」といい、さらに暫く考えた揚句、「それは殺すしかないなあ。」と答えたので、被告人藤男は質問には答えず、「そんなことをする人がいるのか。」と問うと、被告人峯岸は「そういう者は東京にいくらでもいる。」というので、被告人藤男は「それじやあ連絡してみてくれ。車を静岡の方に運んでもらうかもしれないから、運転のできる奴がいないと困るなあ。一人一〇〇万円位になる。」といい、翌日昼頃前記小沢かず枝方に被告人峯岸を訪ねる旨約して別れた。

三  被告人等の共同謀議と犯行準備

そこで被告人峯岸は同日夜東京の前記レストラン・ソウルGTにいる被告人正男に電話し、「ヤバイ仕事だが、一〇〇万円位入る仕事だといつて藤男が人を探しているから、来てみないか。」といつたので、被告人正雄は翌同月一八日夜沼津市八幡町の富士マージヤン荘にいる被告人峯岸のところに来ることとなつた。一方、被告人藤男は翌一八日午後一時頃右ブルーバードを運転して小沢かず枝方に被告人峯岸を誘い出しに行き、同被告人を助手席に乗せたところ、同被告人が前夜の返事に「正雄が来ることになつた。」といつたので、被告人藤男はいよいよ強盗殺人の計画も具体化して来たからには、殺した死体を隠す場所を探さねばならぬと思い、右ブルーバードで死体遺棄場所の下検分のつもりで被告人峯岸とともに裾野市(当時駿東郡裾野町)、御殿場市神場、滝ヶ原、御殿場口富士登山道を新二合目附近まで登り、途中被告人藤男は「捨てる場所は海がいいだろう。」といい、これに対し被告人峯岸は「海はどんなことをしても絶対浮くからまずい。山の中に埋めるしかない。箱根の方によいところがある。」というようなやりとりがなされたが、当日は死体遺棄のため適当な場所を見出すことができなかつた。

ところで、被告人正雄は同月午後八時頃被告人峯岸との約束どおり東京から沼津市八幡町の富士マージヤン荘にやつて来たところ、同じ頃被告人藤男から電話連絡があつたので、沼津市公会堂前路上で待ち合わせることとした。被告人藤男は間もなく同日午後八時頃前記ブルーバードを運転して公会堂前に至り、ともに食事をしようといつて被告人正雄及び被告人峯岸を同乗させ、適当な場所もないまま三島市、田方郡菲山町、伊豆長岡町を廻わり、沼津市口野を経て沼津市街へ戻つたが、午後九時三〇分過頃途中沼津市島郷から西方に左折して牛臥海岸に至り、東京急行経営のバンガローへ入る道へ車を乗り入れ、同所で被告人正雄及び被告人峯岸に対し初めて襲う相手が御殿場市在住の金融業者海野正一だということを打ち明け、「金を三〇〇万円位持たせて連れ出し、睡眠薬を飲ませて金を盗ろう。ただ、行方不明になつたとすると、自分が一番疑われるからアリバイ作りが必要だ。」と切り出すと、被告人正雄と被告人峯岸はともにその計画に賛成し、三人で襲う場所を何処にするか、殺害の方法をどうするかなどを話し合い、被告人正雄が「殺すのと、死体を捨てるのは俺と峯岸がやる。」といい、「それにしても、金は必ず持つて来るだろうな。」と何回も念を押し、次いで海野が沼津市までの仕事の話などで来るには必ず外国製自動車で来ることが予想されたので、被告人藤男が「海野の車を静岡まで持つて行つて放つて置けば、海野が静岡で蒸発したように思えるから、誰か車の運転ができる者が必要だ。」というと、被告人正雄が東京都千代田区麹町のレストラン・ボサノバGTのマネージヤー伊藤喜明を思い浮べて「運転ができる者を連れて来る」といい、死体遺棄場所の方は翌日実地に死体を埋める場所を探すことに相談が纒り、ここに被告人三名の間において、海野正一を誘い出して殺し、金員を強取する旨の謀議が成立し、翌一九日午後一時頃沼津市上横橋駿河会館二階喫茶店「王城」で待ち合わせる旨を約し、同日午後一一時頃被告人藤男の運転で再びマージヤン荘脇の沼津市公会堂前路上まで行き、被告人正雄と被告人峯岸は被告人藤男と別れた。

被告人等三名は翌二月一九日午後一時頃右喫茶店「王城」で落ち合い、前日同様被告人藤男の運転で同所から三島市本町、同市大場を経て静岡県田方郡函南町所在の伊豆逓信病院脇を通り、三島市から熱海市に至る通称熱海街道を東方熱海峠に向け走行し、途中死体埋没の穴掘り用具として被告人藤男において三島市本町一二番一九号三島工具株式会社でライオン印ケンスコツプ二本(昭和四四年押第一四二号の三及び四)、同市南本町一九番一四号新井履物店こと新井進方でゴム半長靴三足を買い求め、函南町田代、さらに東方約六〇〇メートルの熱海街道南側の山中にと死体を遺棄すべき場所を探し、熱海峠から一・二キロメートル手前同町桑原字国見岳一、四〇〇番内の道路北側に「函南県営林、愛林防火」と立看板のある地点に至つて停車し、被告人等三名とも右ゴム半長靴を履き、同所から北側の山道を入つたところ、被告人藤男が右山道を北方に約五一メートル登り、さらに山林中を東方に約一〇・六メートルの地点に東西約五・三メートル、南北約九・四メートルのほぼ平坦な空地を発見し、被告人正雄と被告人峯岸を呼び、被告人正雄が自動車内においてあつたスコツプ二本を取りに行き、被告人等三名が互に交替しながら協力して凡そ一時間のうちに縦一・五メートル、横約〇・八メートル、深さ約一・四メートルの穴を掘り上げ、死体を入れた後土をかぶせる道具として右スコツプ二本を穴の付近に隠し置き、沼津市に向つて引き上げた。被告人藤男は帰途三島市大場から田方郡伊豆長岡町を廻わり、狩野川放水路に沿い沼津市口野隧道に出、同市西浦方面に二〇〇メートル行つた同市口野所在静浦東小学校前路上において停車し、同所で被告人等三名は海野を誘い出す場所、殺害の方法について話し合つた上、沼津市街へ戻り、同人に嚥下させる睡眠薬ブロバリンを買うこととなり、前記沼津市公会堂手前で停車し、被告人正雄において同市西宮後町一の七番地市川薬店こと市川藤吾方に赴いたが、医師の証明書が要るという口実で販売を断わられ、被告人正雄と被告人峯岸は同日午後四時過頃同市西熊堂の小沢かず枝方付近で下車し、被告人藤男はさらに同日午後五時過頃御殿場市新橋の前記「海野ストアー」に赴き、海野と話し合い、湯河原町の小松清作方に約束手形金の取立に行こうとしたが、同人が不在であることが判つたので翌日を約してそのまま前記大庭澄枝方に帰つた。

四  被告人峯岸の共同犯行からの離脱―幇助に止まつたもの

ところで、被告人峯岸は同日夜午後九時頃被告人正雄と富士マージヤン荘で会う約束であつたが、このまま強盗殺人を実行しては大変なことになると恐怖心に駆られて思い返えし偶々風邪を引いて相当発熱したので、これを理由に被告人藤男と被告人正雄に対し爾後犯行への参加を断わつてしまおうと決意し、小沢かず枝に命じて富士マージヤン荘にいる被告人正雄に断わりをいわせ、翌二〇日終日床に就いたまま過し同日午後二時頃被告人藤男と被告人正雄とが誘いに来た時にも風邪を引いたといつて誘いを断わり、さらに同月午後一二時頃再度被告人藤男と被告人正雄が普通乗用車グリーン色ニツサンサニー四三年式静岡五も四九三六号に乗つて小沢かず枝方に訪れ、自動車に乗せられ、少し走つたところで両名から「いよいよ明日二一日海野を殺して金を盗ることになつた。」といわれたが、「風邪を引いて体の具合が悪いから、抜けさせてくれ。誰か代わりを探してくれないか。」といつて遂に共謀者たる被告人藤男及び被告人正雄の諒承を得、被告人正雄において被告人峯岸の代役となるべき者を呼び寄せることとし、被告人峯岸はここに本件強盗殺人及び死体遺棄の共同犯行から離脱したが、前記のごとく被告人藤男から犯行計画を打明けられるや積極的に参与し、共謀者たる被告人正雄を東京から呼び寄せ、共同犯行を謀議し、海野の死体を遺棄すべき場所を探して穴を掘り、被告人藤男及び被告人正雄による強盗殺人死体遺棄の後記犯行を容易にしてその幇助をしたに止まつた。

五  実行行為(一)(強盗殺人)

他方被告人藤男は翌同月二〇日午後一時過頃沼津市本二一番地の五株式会社駿河銀行本店前で大庭澄枝の弟向笠義弘から前記グリーン色ニツサンサニーを一時借り受けて被告人正雄が前夜泊つていた沼津市八幡町四五番地の前記バー「朝雲」に赴いたところ、右「朝雲」は当時休業中であつて被告人正雄のほか無人であつたので、同被告人の話で海野を誘い出して殺害すべき場所を右「朝雲」とすることに決め、次いで同被告人とともに沼津市西熊堂の小沢かず枝方にいる被告人峯岸のところに赴いたが、同被告人は前記のとおり風邪を引いて就床していたので、被告人藤男及び被告人正雄は止むなく二人だけで三島市大場を経由して熱海街道に入り、右道路北側の函南町桑原字国見岳の山中に前日掘つた穴の状況を見に行き、異常のないことを確めた後、熱海峠を越え熱海市を経て湯河原町に向つたが、被告人藤男はその途中大庭澄枝のところから持ち出して来た約三〇錠位残つた睡眠薬ブロバリン錠を被告人正雄に手渡し、さらに前記小松工務店こと小松清作方前を通過し、同町一六一の一番地中華そば店「北京楼」こと村上昭方において食事をした際睡眠薬を混ぜて海野に飲ませる目的でいわゆる強精ドリンク剤「あかまむしヨクリユウ」二本を買い求め、被告人正雄がこれを預り、同日午後四時過頃沼津市に引き返えした。被告人藤男は沼津市公会堂前で被告人正雄を下車させ、前日海野とともに小松工務店に約束手形の取立に行く約束であつたので、その往復の途上さきに海野が借主と担保さえ確実ならば一千万円程度の金融をしてやるといつていたことにかこつけ、同人に多額の現金を持たせて誘い出す口実を切り出そうと考え、そのまま御殿場市新橋の海野ストアーに赴き同日午後七時頃海野を右ニツサンサニーの助手席に同乗させて同市から湯河原町に赴くべく乙女峠に向つたところ、降雪のため復路が危ぶまれたので、湯河原町行きを中止し、御殿場市乙女峠有料道路料金徴収所付近から引き返さざるをえなかつたが、その途中海野に対し「実は沼津のワシントン靴店の息子さんがソニーの株式九、〇〇〇株位を担保に五〇〇万円位借りたいといつている。あの人は婿さんで、博奕で穴をあけたので、奥さんや姑さんに内緒で金が欲しいらしい。」「相手の人が急いでいるから、明日でも融通してやつてくれませんか。」と巧みに持ちかけると、海野も納得して、「いいだろう。銀行が九時に開くから、金を下ろして明日午前一一時沼津駅北口まで車で行く。」といい、被告人藤男の申入を承諾し、翌二一日午前一一時沼津駅北口に現金五〇〇万円を持参する旨約した。被告人藤男はここに海野を誘い出す手筈が完了したので、同月二〇日午後一〇時三〇分過頃まで同人の奢りで御殿場駅前の同市新橋一、九八四番地のクラブ「ニユーラビエン」で酒を飲み、同所二、〇六一の二番地の旅館「秀粋」の同人方自宅にも立ち寄り、同日午後一一時過頃前記ニツサンサニーで沼津市へ帰り、被告人正雄を呼び出し、「明日午前一一時いよいよ海野が金を持つて沼津に来ることになつた。」と伝え、被告人正雄と二人して前記のとおり同市西熊堂の小沢かず枝方に被告人峯岸を誘いに行つたが、同被告人が本件共同犯行から離脱したため被告人正雄において被告人峯岸の代役となるべき犯行参加者を呼び寄せることとなり、前記バー「朝雲」に帰り、二階北西側七畳の間において二人で最終的な犯行の打合わせをし、被告人正雄において東京都千代田区麹町所在のレストラン・ボサノバGTにいる経営者の玉木愛子に電話し、翌二一日「朝雲」の借家権売却のため沼津市に来るという同女を説きつけて同日午前一〇時から午後三時までの時間同女をして「朝雲」に立ち入らないよう約束させ、その間被告人藤男及び被告人正雄において犯行の場所として「朝雲」を自由に使用できるよう確保した。しかして、被告人藤男は翌二一日午前一時三〇分頃右ニツサン・サニーに乗つて三島市大場の前記母とくの許に帰つたが、被告人正雄はさらに同日午前四時頃東京都港区西麻布のレストラン・ソウルGTに電話し、被告人峯岸の代わりに海野の死体処理など犯跡の隠蔽を手伝わせる目的で同店の会計責任者であつた中村一太郎に対し「明日(夜が明けたらの意、正確に言えば同日)、伊藤喜明と一緒に来てくれ。」といい、レストラン・ボサノバGTの支配人であり当時住居地のルツクアウトマンシヨン五号室に同居していた伊藤喜明に対し、あらかじめ前々日午後一一時頃外国製自動車の運転をしてくれと電話しておいたとおり海野が乗つて来る予定の外国製自動車の運転をさせる目的で、「明日(夜が明けたらの意)、沼津へ来てくれ。」といい、さらに海野の死体を運搬するため右マンシヨンにおいてあつた濃い茶色の布団袋(昭和四四年押第一四二号の一一はその腐蝕したものである)を利用しようと考え、「アパートの押入にある布団袋を持つて来てくれ。」と指示し、犯行の準備に遺漏なからしめた。

被告人藤男は翌同月二一日午前一〇時三〇分頃母とくの許を出て、右「朝雲」にいる被告人正雄のところに連絡に行くと、同日午前一〇時頃同被告人の依頼で東京から来た中村一太郎とかねて顔見知りの伊藤喜明とがいたので、被告人正雄が中村一太郎を被告人峯岸の代わりに呼んだんだなと思い、被告人正雄には間もなく海野を連れて来るからといつて右「朝雲」から海野と待合わせの約束をした沼津駅北口まで徒歩で行き、沼津駅北口前路上で自動車で来る海野を待つていたが、約三〇分位待つた揚句同日午前一一時二〇分頃になつて駅北口改札口前のところに佇んでいる海野に出会つたところ、同人が「降雪のため道路が交通止めで自動車で来れなかつたから汽車で来た。」というので、当初計画していたとおり殺害後同人が乗つて来た自動車を静岡駅付近に持つて行つて放置しあたかも同人が静岡市で蒸発したように見せかけることができなくなつたと困惑し、沼津駅西方の中央ガードを越えて一時同人を沼津市上本通り三番地レストラン「フオンテーヌ」前路上に待たせておき、急拠「朝雲」にとつて返えし、海野が自動車で来ず計画に齟齬を来たしたことを被告人正雄に相談したが、海野が金を持つて来ているので、予定どおり強盗殺人を実行することに決し、被告人藤男は付近に駐車してあつた前記ニツサンサニーを運転して右「フオンテーヌ」前で待ちわびている海野を迎えに行き、同人を助手席に同乗させ、同日午前一一時四〇分頃同人をして貸借の取引の場所に案内するのだと信じ込ませて右「朝雲」の一階店舗内に誘い込んだ。「朝雲」に着くと、被告人正雄が二人を迎え、被告人藤男が一階店舗内北側の向つて右手いわゆる三番ボツクスに壁を背に坐り、海野がこれと向いあわせにカウンターを背に坐り、被告人藤男が海野に対し「ここで取引の相手と会うことになつている。」といい、被告人正雄が前日買求めた「あかまむしヨクリュウドリンク」に果汁様のものを混ぜた飲物二杯を作り、海野に飲ませるタンブラーにはあらかじめ受取つていた睡眠薬ブロバリンを砕いて溶かし、「強精剤ですから、どうぞ。」といつてこれを海野と被告人藤男の前へ持つて行き、被告人藤男と海野はそれぞれ自分のタンブラーに入つた飲物を飲んだが、被告人藤男は海野と雑談をしながら、同人が約束どおり五〇〇万円位の現金を持参しているかどうか確める意味で「五〇〇万円の現金というと、どの位あるのですか。」と尋ねると、同人が上衣(昭和四四年押第一四二号の一四)の内ポケツトから約二〇〇万円位の一万札の束を出してみせ、「包で持つていると、忘れたりするから、裸でポケツトに入れておくのが一番よい。」というので、間ちがいなく同人が約束どおり五〇〇万円位の現金を持参していることを確認し、約一〇分位の後同人に「取引の相手方を呼んで来るから。」といつて席を外し、沼津市鉄砲町所在喫茶店「ギルビー」、同市大手町二八番地中村理髪店等で時間を潰し、同日午後一時二〇分頃その間すでに被告人正雄及び中村一太郎が海野の殺害を終えているものと思い「朝雲」に引き返えしたところ、未だ殺害行為は終つておらず、海野はブランデイを前にして睡眠薬が大分利いて来たような様子で前かがみの姿で首を左に傾けてソフアに坐つており、「今日の酒は酔うな。」といい暫くして便所に立つたが、ひどくふらふらしておりもう水を飲もうとしても飲めずかなり意識が薄れた状態となつたので、被告人正雄はこの機に「海野さん、大丈夫ですか。」といいながらソフアに坐つている海野の背後からいきなり直径約二ミリメートルの麻紐(昭和四四年押第一四二号の三八の麻紐は土中にあつて黒つぽく腐蝕したものである)を同人の頸部に二重に捲きつけ、被告人藤男とともに両側に分れて強く緊縛し、よつてその場において同人をして絞頸による窒息のため即死させて殺害し、同人の背広上衣の左右の内ポケツトから裸で入つている現金四八〇万円位及び黒皮二ツ折財布(前同押号の二五)の中から現金二、三万円を抜き取り、さらに海野が左手首にはめていたスイス・ローレツクス製デイデイト一八金側腕時計一八金バンド付き一個(時価約金四〇万円担当)(前同押号の六の金塊は、右腕時計とバンドを熔解し、さらに金のみを分離したものである)を外して強取し、被告人藤男において右強取にかかる現金のうち金二五〇万円位を、被告人正雄において金二三二、三万円と腕時計を取つた。

六  実行行為(二)(死体遺棄)

被告人藤男は右犯行後いわゆるアリバイ作りと称して「朝雲」を立去つたが、被告人正雄は同日午後二時頃右「朝雲」二階七畳の間において中村一太郎及び伊藤喜明に対し「今階下の店舗で被告人藤男が金融業者の海野を殺して金を盗つた。俺は場所を貸しただけだが、死体の後始末や運搬を手伝つてくれ。」と申し向けて依頼し、その承諾を得、ここに被告人藤男、被告人正雄、中村一太郎及び伊藤喜明は共謀の上右強盗殺人の犯跡を隠蔽するため海野の死体を他へ隠匿遺棄しようと企て、「朝雲」一階店舗内において伊藤喜明が当日持参した前記布団袋をひろげ、被告人正雄が下肢部を、中村が頭部付近を、伊藤が腰部付近を持つて右布団袋の上に乗せ、死体を包み込んで伊藤がその上を直径約五ミリメートルの紐(前示腐蝕した布団袋に付されているもの〔昭和四四年押第一四二号の一一のうちの紐〕)で縛りつけ、「朝雲」の二階南側六畳の間西側の押入上段に一時隠匿し、さらに被告人正雄及び中村において同日午後八時頃沼津市八幡町八幡神社前南側の路上で被告人藤男と出会い同被告人から死体遺棄に使用する目的で前記ニツサン・サニーを借り受け、翌同月二二日午前一時頃中村が運転して右ニツサンサニーを右「朝雲」前小路まで乗り入れ、そのトランクルームに右布団袋入り死体を運び出して押し込み、被告人正雄の指示で同所から約二四・三キロメートル東方に走行し熱海峠から西方一・三キロメートル手前の熱海街道上の地点に至り、両名協力して右街道北側函南県営林内の山中に前記のように被告人藤男、被告人正雄及び被告人峯岸の三名があらかじめ掘つておいた穴の中に右死体を落し入れ、同所に隠してあつたケンスコツプ二本を使用して土をかぶせて埋め込み、その上に付近から取つて来た笹竹、枯草を撒いて掘跡を隠蔽し、以て海野正一の死体を遺棄した。

七  被告人正雄及び被告人峯岸に対する拳銃不法所持

(一)  被告人正雄は法定の除外事由がないのに昭和四三年六月中旬頃から昭和四四年三月頃まで及び昭和四四年三月末頃から同年七月頃までの間頭書住居地のルツクアウトマンシヨン五号室においてドイツ製レツク拳銃上下二連式二二口径一挺(前同押号の三九)を隠匿所持し

(二)  被告人正雄及び被告人峯岸は共謀の上法定の除外事由がないのに昭和四四年三月頃二、三週間及び昭和四四年七月頃から同年九月一六日までの間沼津市西熊堂九二二番地の三小沢かず枝方において右拳銃挺を隠匿所持し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人藤男の前科)

被告人藤男は昭和四一年五月一二日静岡地方裁判所沼津支部において有価証券偽造・同行使・詐欺の罪により懲役一年六月未決勾留日数六〇日算入及び懲役六月に処せられ、昭和四二年九月一八日右懲役六月の刑の執行を、昭和四三年三月一九日懲役一年六月の刑の執行を受け終つたものであつて、この事実は被告人藤男の検察官に対する昭和四五年二月九日付供述調書及び静岡地方検察庁の御殿場警察署に対する同被告人の前科照会に関する回答中の記載によつて明らかである。

(法令の適用)

法律に照らすと、判示各所為中被告人藤男及び被告人正雄に係る判示五の強盗殺人の点は刑法第二四〇条後段、第六〇条に、判示六の死体遺棄の点は同法第一九〇条、第六〇条に、被告人峯岸に係る判示四の強盗殺人幇助の点は同法第二四〇条後段、第六二条第一項に、死体遺棄幇助の点は同法第一九〇条、第六二条第一項に、被告人正雄及び被告人峯岸に係る判示七の拳銃不法所持の点はその(一)及び(二)を包括して銃砲刀剣類所持等取締法第三条第一項第三一条の二第一号((二)につき刑法第六〇条)に該当する。

そこで、右強盗殺人罪の量刑について考慮をめぐらすに、被告人藤男は家業を継承すべき者として幼少より父母の愛情に育まれ、実用新案を考案したように相当優れた能力の持主でありながら、真面目に働くことを嫌い、遊興に耽り、本件犯行当時も同棲していた大庭澄枝とその家族に寄生して生活し何らの定職にも就かず遊び暮していたものであり、犯行の主たる動機たるや安易に生活するため多額の金銭を獲得しようとしたことにあり、かつて金融を受けたことのある被害者海野正一から金融の仕事をしてみないかという申出があつたのを幸い、これを誘い出して金員を奪取することを考え出すに至つたのである。しかも、その犯行は屋内とはいえ白昼、繁華街の中で堂々と残酷に行われたものであり、極めて計画的、綿密かつ大胆である。そして、同被告人と被害者海野との関係及び同被告人の誘出行為なしには本件犯行はこれをなし得なかつたものであり、本件犯行の発案及び犯行計画の主導者は被告人藤男と認められるのである。すなわち、同被告人は共謀の最終段階に至つてはじめて被害者たるべき海野の名を明らかにし、いわゆる完全犯罪を狙つて、海野の死体が発見されぬようあらかじめ死体を遺棄すべき場所を二日間にわたつて探し歩き、穴掘りの現場において煙草を吸つた被告人峯岸に注意を促しいささかも犯跡を残さざるよう細心の配慮をし、実行の際にもことさら知人の前に姿を現わし犯行時間におけるアリバイ作りに努めたのである。また、被告人藤男は犯行後その日のうちに浜松市へ奔り、岐阜市、神戸市を経て福岡市、北九州市方面に逃走し、約一ヶ年もの間杳としてその消息を絶つていた者であり、その間犯行後昭和四四年四月末頃まで僅か二ヶ月余の間に強取した約二五〇万円の金員の殆んどを遊興に費消し尽し、「大庭盂」なる偽名を使用して女性と同棲するなどその後の行状にも掬むべき点は存在しない。確かに被害者海野はかつて被告人藤男に対し高利の金融をし、同人を利用して不相当ともみえる利益を得たことが窺われるが、本件犯行の頃同人にはさして咎め立てすべき点があつたとは思われない。却つて、同人は被告人藤男に対し金融の仕事を与えようといつていたのである。しかして、海野の非業の死により盛業の途上にあつた「海野ストアー」は閉店の止むなきに至り、入籍していない内妻海野恵子こと山橋君江及び事実上の養女有坂めぐみ、雇人等は一挙にして生活の基礎を失うに至つたのである。以上のほか本件犯行に現われた諸般の事情をあわせ考えるとき、被告人藤男に対しては極刑を課するもまた止むを得ざるものとしなければならない。

次に被告人正雄についてであるが、本件犯行前ちようど賭博の負債に苦慮していた折柄被告人峯岸から連絡を受けて沼津に来、被告人藤男から本件犯行への参加を求められて積極的に参加し、犯行計画中殺人の場所提供、睡眠薬ブロバリン入り飲物の調製、死体遺棄、証拠物件の廃棄湮滅等重要部分を担当し、ことに自ら手を下して被告人藤男とともに海野の殺害行為を行つた点においてその責任は極めて重大であるといわなければならない。犯行後の行状も、強取した金員の大部分をまたたく間のうちに賭博に費消し、金側腕時計はこれを熔解して金塊とするなど悔悟の念を示すものは殆んど認めることができない。しかし、右のように本件犯行は被告人藤男の発案にかかり、同被告人による海野の誘出なしにはとうてい実現不可能であつたことに照らし、本来極刑を以て臨むも不相当とは考えられないが、特に死一等を減じて被告人正雄を無期懲役に処すべきものとする。

よつて、被告人藤男に対し判示五の強盗殺人の罪の刑につき所定刑中死刑を選択し、なお同被告人には前示前科(二個の懲役刑)があるので、刑法第五六条第一項第五七条により判示六の死体遺棄の罪の刑に再犯の加重をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが同法第四六条第一項本文に従い他の刑を科さないこととし、被告人正雄に対し判示五の強盗殺人の罪の刑につき所定刑中無期懲役刑を、判示七の拳銃不法所持の罪の刑につき所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるが、同法第四六条第二項本文により他の刑を科さないこととし、被告人峯岸に対し判示四の強盗殺人幇助の罪の刑につき所定刑中無期懲役刑を、判示七の拳銃不法所持の罪の刑につき所定刑中懲役刑を選択し、右強盗殺人幇助及び死体遺棄幇助の罪の刑については刑法第六三条第六八条第二号により従犯の減軽をし、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条に従い最も重い判示四の強盗殺人幇助の罪の刑に同法第一四条の制限の範囲内で併合罪の加重をし、さらに情状特に憫諒すべきものがあると認め、同法第六六条第六七条、第六八条第三号、第七一条により酌量減軽を施し、その刑期の範囲内で被告人峯岸を懲役三年六月に処し、同被告人に対し同法第二一条を適用して未決勾留日数中五五〇日を右本刑に算入することとし、押収してあるライオン印ケンスコツプ二本(昭和四四年押第一四二号の三及び四)は判示六の死体遺棄の犯罪行為の用に供したものであつて犯人以外の者の所有に属しないものであることが明らかであるから、同法第一九条第一項第二号第二項によりこれを被告人藤男及び被告人正雄から没収し、押収してあるドイツ製レツク拳銃一挺上下二連式二二口径(前同号の三九)及び同弾丸二発(同号の四〇)は判示七の犯罪行為を組成したものであつて、犯人以外の者の所有に属しないことが明らかであるから、同法第一九条第一項第一号第二項によりこれを没収することとし、押収してある金塊四八・三グラム(前同押号の六)は判示五の強取にかかる金側時計を熔解したもので、これを被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条に従いこれを被害者海野正一の相続人に還付すべきものとし、同法第一八一条第一項本文により訴訟費用中証人玉木愛子及び同中村一太郎に支給した分は被告人正雄の負担、証人渡辺良市に支給した分は被告人峯岸の負担とし、同法第一八一条第一項但書により被告人藤男に対しては訴訟費用の負担をさせないこととする。

(被告人峯岸の罪責について)

被告人峯岸に対する昭和四四年一〇月四日付起訴状記載の公訴事実第一及び第二によれば、被告人峯岸は強盗殺人並びに死体遺棄の共謀共同正犯として起訴されていることが明らかである。

しかし、凡そ共謀共同正犯が成立するためには、当該犯罪の共同関係が共謀に係る犯罪の実行がなされた時点まで存続していなければならず、また強盗殺人罪の実行の着手があつたといい得るためには少くとも財物奪取の目的を以て被害者に対する殺害行為が開始されていることを必要とするものと解すべきである(死体遺棄罪の点については暫く措く)。しかるに、本件にあつては前掲各証拠を総合すると、すでに判示罪となるべき事実摘示のごとく、被告人峯岸は昭和四四年二月一七日夜から同月一九日夕刻に至るまで被告人藤男及び被告人正雄と海野正一を殺害して金員を強取するという本件犯行の実行を共謀し、あらかじめ同人の死体を遺棄すべき穴を山林中に堀り上げたものであるが、同月二〇日午後一二時過頃犯行の恐しさに駆られ被告人藤男及び被告人正雄に対し風邪のため右犯罪の実行から離脱することを表明し、同被告人等も止むを得ぬこととしてこれを諒承し、被告人峯岸はその後同月二二日朝まで沼津市西熊堂の小沢かず枝方で就床し、なおも発熱が治まらないので、同日朝熱海市の自宅に帰り、同市銀座町の福地次雄医師の診療を受けていることが認められる。そして、右のごとくにして被告人峯岸との共謀関係が消滅し、同被告人が犯罪の遂行に加わらなくなつた後の同月二一日午前一一時四〇分頃被告人藤男と被告人正雄が被害者海野正一をバー「朝雲」内に誘い込み、これに睡眠薬入りの飲物を飲ませ、同人を殺害して金を奪う、という共謀に基く犯罪の実行に着手し、同日午後二時頃現金約四八〇万円と金側腕時計を強取してその犯罪を完遂し、さらに同じ頃中村一太郎及び伊藤喜明を加えてかねての計画どおり死体遺棄の犯行が実現されたものであることが明らかである。そうとすると、被告人藤男と被告人正雄とによつて右強盗殺人・死体遺棄の犯罪の実行がなされた時点において被告人峯岸はすでにその共謀関係から離脱し共同実行の意思を有しなかつたことはその時間的順序からいつて明白であるから、被告人藤男と被告人正雄とによる本件犯行は被告人峯岸をも加えた共謀に基く犯罪の実行ということはできず、従つて、被告人峯岸は被告人藤男及び被告人正雄のした強盗殺人・死体遺棄の犯行につき共謀共同正犯としての罪責を負担しないものといわなければならない。

そこで、被告人峯岸はいかなる罪責を負担すべきかが問題となる。

ところで、本件において当初被告人藤男、正雄、峯岸の三名が共謀した強盗殺人・死体遺棄の犯罪内容と、被告人藤男と被告人正雄とによつて実行された強盗殺人・死体遺棄の行為の内容とは全く別異の無関係なものであろうか。若し、被告人等三名の共謀による犯罪の内容と離脱者峯岸を除いて実行された犯罪の内容とが全く異るときは、離脱者を除いて実行された犯罪は離脱者を含む当初の共謀による犯罪の実行がなされたものということができず、離脱者に対しては共謀自体又は予備行為としての罪責を問い得る場合であれば格別、そうでなければ離脱者に対しては何等の罪責をも問い得ないものといわざるを得ない。これに対し、実行前離脱した者を含む共謀の内容が離脱者を除いてなされた犯罪の内容と同一であり、右共謀が時間的に発展して実行に至つたと認められる場合、離脱者は共謀共同正犯としての罪責を負担しないが、その離脱前なしたる加担行為の質及び程度の範囲において他の共謀者による犯罪の実行につき罪責を問わるべきものといわなければならない。しからずとすれば、当初から共同して犯罪を遂行する意思なくして他人の犯罪の実行に助力した者が教唆犯又は幇助犯として処罰されるのに対しし、共同して犯罪を遂行する旨の合意をした共謀者が幇助と同一若しくはそれ以上の行為をしながら、他の共謀者の実行前共謀から離脱したことのゆえに全く罪責を負担しないか、幇助犯よりも遙かに軽く原則として処罰されない共謀又は予備犯としての罪責を負担するに過ぎない、と解することは著しく事理に合致しないとの譏を免れないであろう。

しかるに、罪となるべき事実欄摘示の事実関係に本件において取調べた各証拠をあわせ考え、本件犯行を直視すれば、被告人藤男と被告人正雄とによつて実行された強盗殺人・死体遺棄の行為は、被害者海野正一に睡眠薬を飲ませ同人を殺害して金員を強取し、その死体をあらかじめ掘つた穴に埋めて遺棄する、という内容のものであつて、その着手前共謀関係から離脱した被告人峯岸を加え被告人等三名が共謀した犯罪の内容と全く同一内容の行為であり、右共謀が時間的に発展したに過ぎないものと認められるのであり。そして、被告人峯岸は昭和四四年二月一七日夜被告人藤男から本件強盗殺人の相談を受けてより右のごとく実行着手前共謀関係から離脱するまでの間被告人藤男及び被告人正雄とによる右強盗殺人の犯行を認識しながら、これを認容して共謀共同正犯者たる被告人正雄を東京から呼び寄せ、謀議に積極的に与り、あらかじめ山中に死体を遺棄すべき穴を掘つたものであつて、被告人峯岸の右のような行為は共謀共同正犯者としての自己の犯行の実現であるとともに他方共謀共同正犯者たる被告人藤男及び被告人正雄の強盗殺人・死体遺棄の犯行を容易ならしめ、そのための強力な助力となつたことは疑う余地のないところである。従つて、被告人峯岸はたとえ被告人藤男と被告人正雄とによる犯罪の実行前共謀関係から離脱していたにしても、被告人藤男と被告人正雄の強盗殺人・死体遺棄の実行行為に対する幇助犯としての罪責を負担するものというべく、かかる者として処断さるべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

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